老猫介護メモ8 ありがとう、さようならショパン [犬・猫]
16日日曜日、この日の朝はここ数日で一番と言っても過言でないぐらいショパンの体調が良かった。シリンジで与える流動食もゴクゴクと飲み、水は器を傾けてやれば自力で飲んだ。もう4本足で歩く事は出来なくなっていたが、目を離すと寝ている場所が移動しているので這って動いていたのだと思う。
久しぶりに少し安心してのびのびと仕事も出来た。ところが昼休み(わたしは家の近くで働いているので昼休みは家に帰っている)に容体が急変。気持ちよさそうに寝ていたと思ったら突然激しく痙攣しはじめた。どのぐらい続いただろう、長く感じたけどきっと2,3分だったんだろうな。痙攣がおさまっても手足は硬直したままで、呼びかけても反応がない。腎臓病の猫が痙攣を起こすというのがどういう事なのかはわかっていた。
午後の仕事から戻ってくる頃にはもういないだろうと諦めて帰宅。良くはなっていないが現状維持の状態で生きていてくれた。眠っている時と違って目を開けたまま、手足の硬直は多少は解けたがこわばったまま。それでももしかしたら聞こえているかもしれないと何度も声をかける。
急に意識が戻って大きな声で鳴いた。倒れてから鳴き声なんか聞いたことなかったのに。しかも上半身を起こして私の事を探している。水をやったら自力で飲んだ。その後また意識はなくなったが、寝室に連れて行ってベッドの横に寝かせてた。夜中に何度か意識が戻り、そのたびに鳴いて水を飲んだ。
17日月曜日、寝ている間に冷たくなっていたらと不安でほとんど眠れなかった。朝になってもまだ静かに呼吸をしている。なんて丈夫な心臓なんだろう。そしてそのまま夜までもった。夕飯を食べながらも隣に置いてずっとお腹の動きを見ていた。意識はないけど声をかけると手足を少しだけ動かす。やっぱり耳は聞こえているようだ。いつもより少し呼吸が荒いように見える。夕飯後にそろそろ片付けようかとしていた時に急に呼吸が苦しそうになる。酸欠の金魚が苦しそうにパクパクするような呼吸。辛そう、苦しそう、見ているのが辛い。もう何も出来ないのでとにかく抱きしめて「ありがとう、もう頑張らなくていいよ、パパとおばあちゃんに可愛がってもらうんだよ」と声をかける。苦しそうな呼吸はだんだん間隔があき、21時5分に永眠。この日はショパンの事をかわいがっていた祖母の誕生日だった。
「猫が死んだから休みます」とはさすがに言えないし、暑いから何日も遺体を置いておくわけにもいかない。仕事の日だったら母と妹だけで斎場に行ってもらおうと思っていた。でもショパンはわたしの休みの前日の夜に旅立ったのでちゃんと最後まで見送ることが出来た。裕次郎も休みの日の朝だったし、もしかしたら一緒にいたいと向こうも思ってくれてるんだろうか。
危ない危ないとは思っていたけど、やはり生きている間に葬式の準備はしたくない。亡くなってから慌てて遺影探し。最近の写真はプリントアウトしていないのでけっこうお若い頃だろうけど遺影(仮)と妹に買ってきてもらった花束。おやつを入れても良いですよと斎場の方に言われたが、ショパンはキャットフード以外は全く食べない猫だったのでおいしいカリカリをお供物に。
裕次郎が死んだ時に「これで最後だから」と思って遺体の写真を撮った。でも写真で見ても死んでいるのがわかるその写真はとても後で見る気にはならず、だからと言って削除することも出来ずに未だに後悔している。だからショパンの遺体は敢えて撮らなかった。前日の意識がない状態も撮らなかった。前々日にシリンジと一緒に撮った写真が最後の写真。
家の中は寂しくなったが祭壇は賑やかになった。ショパンの遺骨はクレイ製の骨壺に入れてもらった。これならそのまま埋めても土にかえるからだ。裕次郎の時は初めてのお葬式で大慌てだったので、骨壺を変更する余裕がなかった。丁寧に納めてくれた遺骨をバラっと庭に埋める事に抵抗があって10年経ってもまだ家にある。ショパンのお骨を埋葬する時に一緒に埋葬するつもり。綺麗な紙の箱かなにかを探してそこに移してから埋めようと思う。
あれから1週間。家の中には3匹の猫がいるがガランとして寂しい。時々声に出して「ショパーン、寂しいよ」と言ってみたりしている。倒れてから11日間、肉体的にもキツかったが「死んじゃうかもしれない」って不安が一番辛かった。変な表現だけど「死んでしまったからもう死なない」わけであの不安から解放された。ほっとしてまたこれが寂しい。
携帯やスマホばかり使うようになってすっかり放置していたデジカメの画像をパソコンに取り込んでみた。大慌てで探した遺影(仮)は2010年12月15日に撮影したものだった。この日は母の誕生日だ。なにかと縁を感じる。(仮)だったけど、12歳だからちょっと若すぎるけど、見ているうちに気に入ってしまったのでこのままこの写真を遺影にしようと思っている。裕次郎の遺影なんて4歳の時だし。
久しぶりに少し安心してのびのびと仕事も出来た。ところが昼休み(わたしは家の近くで働いているので昼休みは家に帰っている)に容体が急変。気持ちよさそうに寝ていたと思ったら突然激しく痙攣しはじめた。どのぐらい続いただろう、長く感じたけどきっと2,3分だったんだろうな。痙攣がおさまっても手足は硬直したままで、呼びかけても反応がない。腎臓病の猫が痙攣を起こすというのがどういう事なのかはわかっていた。
午後の仕事から戻ってくる頃にはもういないだろうと諦めて帰宅。良くはなっていないが現状維持の状態で生きていてくれた。眠っている時と違って目を開けたまま、手足の硬直は多少は解けたがこわばったまま。それでももしかしたら聞こえているかもしれないと何度も声をかける。
急に意識が戻って大きな声で鳴いた。倒れてから鳴き声なんか聞いたことなかったのに。しかも上半身を起こして私の事を探している。水をやったら自力で飲んだ。その後また意識はなくなったが、寝室に連れて行ってベッドの横に寝かせてた。夜中に何度か意識が戻り、そのたびに鳴いて水を飲んだ。
17日月曜日、寝ている間に冷たくなっていたらと不安でほとんど眠れなかった。朝になってもまだ静かに呼吸をしている。なんて丈夫な心臓なんだろう。そしてそのまま夜までもった。夕飯を食べながらも隣に置いてずっとお腹の動きを見ていた。意識はないけど声をかけると手足を少しだけ動かす。やっぱり耳は聞こえているようだ。いつもより少し呼吸が荒いように見える。夕飯後にそろそろ片付けようかとしていた時に急に呼吸が苦しそうになる。酸欠の金魚が苦しそうにパクパクするような呼吸。辛そう、苦しそう、見ているのが辛い。もう何も出来ないのでとにかく抱きしめて「ありがとう、もう頑張らなくていいよ、パパとおばあちゃんに可愛がってもらうんだよ」と声をかける。苦しそうな呼吸はだんだん間隔があき、21時5分に永眠。この日はショパンの事をかわいがっていた祖母の誕生日だった。
「猫が死んだから休みます」とはさすがに言えないし、暑いから何日も遺体を置いておくわけにもいかない。仕事の日だったら母と妹だけで斎場に行ってもらおうと思っていた。でもショパンはわたしの休みの前日の夜に旅立ったのでちゃんと最後まで見送ることが出来た。裕次郎も休みの日の朝だったし、もしかしたら一緒にいたいと向こうも思ってくれてるんだろうか。
危ない危ないとは思っていたけど、やはり生きている間に葬式の準備はしたくない。亡くなってから慌てて遺影探し。最近の写真はプリントアウトしていないのでけっこうお若い頃だろうけど遺影(仮)と妹に買ってきてもらった花束。おやつを入れても良いですよと斎場の方に言われたが、ショパンはキャットフード以外は全く食べない猫だったのでおいしいカリカリをお供物に。
裕次郎が死んだ時に「これで最後だから」と思って遺体の写真を撮った。でも写真で見ても死んでいるのがわかるその写真はとても後で見る気にはならず、だからと言って削除することも出来ずに未だに後悔している。だからショパンの遺体は敢えて撮らなかった。前日の意識がない状態も撮らなかった。前々日にシリンジと一緒に撮った写真が最後の写真。
家の中は寂しくなったが祭壇は賑やかになった。ショパンの遺骨はクレイ製の骨壺に入れてもらった。これならそのまま埋めても土にかえるからだ。裕次郎の時は初めてのお葬式で大慌てだったので、骨壺を変更する余裕がなかった。丁寧に納めてくれた遺骨をバラっと庭に埋める事に抵抗があって10年経ってもまだ家にある。ショパンのお骨を埋葬する時に一緒に埋葬するつもり。綺麗な紙の箱かなにかを探してそこに移してから埋めようと思う。
あれから1週間。家の中には3匹の猫がいるがガランとして寂しい。時々声に出して「ショパーン、寂しいよ」と言ってみたりしている。倒れてから11日間、肉体的にもキツかったが「死んじゃうかもしれない」って不安が一番辛かった。変な表現だけど「死んでしまったからもう死なない」わけであの不安から解放された。ほっとしてまたこれが寂しい。
携帯やスマホばかり使うようになってすっかり放置していたデジカメの画像をパソコンに取り込んでみた。大慌てで探した遺影(仮)は2010年12月15日に撮影したものだった。この日は母の誕生日だ。なにかと縁を感じる。(仮)だったけど、12歳だからちょっと若すぎるけど、見ているうちに気に入ってしまったのでこのままこの写真を遺影にしようと思っている。裕次郎の遺影なんて4歳の時だし。